母さどちゃん、認知症かも?と思っていたらその後胃がん末期が判明

母79歳1人暮らし。1年前くらいから、な~んかおかしいな~と思っていましたが、先日ものわすれ外来を受診しました。これからどうなっていくんだろう?

もう4年も経ってしまいました

このブログがあることを数日前にうっすら思い出してログインにてこずってやっと入れました。

実母は2018年3月16日にこの世を去りました。

緩和ケア病院になんとか受け入れてもらえてからひと月もたたないうちに眠ったままスーッと亡くなりました。

緩和ケアでの毎日は今思うと母は何を考えていたのかな、と思います。

自分の弱った姿は見せたくなくて、友達には病気になったことも一切言わないで連絡を絶ったし、孫にも会いたくないと病院までお見舞いに来てくれたのに追い帰してしまったり、私が行っても早く帰れ帰れ!と毎回最後はケンカ腰だった。

食事はほとんど食べられなくなっていたけど、ヤクルトと私が持っていった黒にんにくだけはおいしいと言って毎日食べていた。

健康診断で検便して目にも見えない血便で大腸検査をすることになっていきなり胃がん末期と診断されて。それまではたくさん習い事をしてお友達と食事に行ったり東京まで小学校の時の同級生と集まったり楽しく過ごしていたのに、生活が一変してしまった。

その前に認知っぽくなって物忘れ外来に無理やり連れて行ったら介護認定をすぐ取るように先生に言われて、介護認定がつくと今まで通っていた自治体のやっている習い事のサークルには通えなくなってしまうので嫌だと言ってたのに私が認定取らないとダメだと先生に言われたから、とこれもやめさせる形になってしまって。今思えば自分で通えていたのだから、楽しい居場所を取り上げてしまうことなかったと思う。すごい怒っていたもの…

 

ケアマネさんが来るのもヘルパーさんが来るのも来るまでは全身で嫌がって

でも実際に来て会ってるときは超ニコニコしておべっか使って応対。帰った瞬間に口汚く大文句言っててそれを聞くのも見るのもすっごく嫌だったなー。

腰の圧迫骨折で入院した病院を追い出されて実家に戻るしかなくてその間姉と交代で実家に行ってたときはつらかったなー。

母がどんなことを考えて生きてきたのかは何もわからなかった。

ただ父が亡くなった日の次の日に父の持ち物をほとんど処分して布団も捨てていたのには驚いた。写真は1枚も残されていなかった。

「お母さんね、お父さんのこと嫌いだったんだよ」と葬儀のあと数日経ってから言われたことはわかってはいたけど衝撃だったのでずっと忘れられない。

 

実家は処分して今は更地になって売りに出ている。

ご近所さんと付き合いもなかったのでもう行くこともない。

お骨は納骨されず姉が持っている。

コロナで法事もしていないしお墓参りしても父しか入ってないお墓・・

お母さん死んだはずなのに全然来ねえなぁーと思っているだろうな。

いいかげんどうにかしないとね。

あの世でまた怒ってるかもしれない。